ジョルジュ・スーラと色彩
画家と色彩シリーズ、前回はオルフィスムの画家
ドローネーをとりあげました。
今回は、点描で有名なジョルジュ・スーラに
スポットをあてます。
ジョルジュ・スーラの人生ストーリー
ジョルジュ・スーラは、1859年、パリで生まれます。
父親は法務職員から不動産投資で成功していました。
1878年、スーラはフランスの国立高等美術学校
エコール・デ・ボザールへ入学し、美術の訓練をしました。
その後、1年間兵役につきます。
兵役後、パリへ戻り、モノクロによる素描技術を習得します。
1883年、23歳のとき、パリ・サロンで最初の素描作品が展示されました。
コンテ・クレヨンで描いたアマン・ジャンの肖像画の素描画です。
このころの代表作
《アニエールの水浴》1883-4年
巨大キャンバスに描かれた最初の本格的絵画。
印象派の色の使い方に影響を受けています。
部分的に点描の描き方が採用されています。
スーラは大作を仕上げるまでに、多くの習作を制作、
細かく構図、モチーフの配置、人物のポーズなどを
研究しています。
スーラ自身はこの下絵を「クラクトン」と呼び
《アリエールの水浴》のためのクラクトンは
13点あります。
あいにく《アリエールの水浴》はサロンには落選しますが、
同年のアンデパンダン展(独立芸術家協会展)に出品されます。
次に、スーラ最大の代表作
《グランド・ジャット島の日曜日の午後》 1884 年
本作は、第8回印象派展(1886年)に出品されて話題となりました。
グランド・ジャット島に集う50人ほどの人物を点描で描き出しています。
スーラを熱烈に支持したのは美術批評家のフェリックス・フェネオンで
彼により、「新印象派」と呼ばれるようになります。
スーラ自身は「色彩光線主義」と呼びました。
習作(クラクトン)は、素描約30点、油彩下絵40点以上に
及びます。
その他、
《ポーズする女たち》(1886–88年)
《サーカスの客寄せ》(1887–88年)
《シャユ踊り》(1890年)
《サーカス》(1890–91年、未完)
が、スーラの短い31年、画業約10年の人生で
残した主な作品です。
作品点数は多くありませんが、いずれも傑作です。
1891年パリの両親の家で、亡くなりました。
複数の病気を併発したと思われますが、
明確な死因は不明です。
新印象派 「色彩光線主義」
印象派が、感性に基づいて筆触を置いていたのに対し、
新印象派は、印象派の筆触分割の体系化を推し進めて、
理論的・科学的に点描を整然と配置する方式を確立しました。
たとえばオレンジ色を表現したいときに、赤と黄色を混ぜるのではなく、
2つの色を置くことによって、網膜内で視覚的に混ざって見えることを
狙いました。
これが新印象主義の「点描派」ですが、スーラ自身は、一歩進んだ
「色彩光線主義」と呼ばれることを期待しました。
点描法の目的が、光彩表現であり、科学的な法則に基づいて
光を色彩に分割してキャンバスに表すと考えていたからです。
光が直接あたる部分、影の部分、反射の影響をうける部分、など
様々な光の影響を、色相、明度、彩度を細やかに調整した
無数の色点を置くことによって、対比を強調し、形態を
浮かび上がらせようとしました。
スーラは常に、綿密な形態と構図、輝く色調、全体の調和を
追い求めていました。綿密な習作の多さがそのことを
物語っています。
スーラとシニャック
スーラは寡黙で内省的な性格であったようで、私生活については
他人に全く語ることがなかったそうです。
スーラは死の直前一子をもうけているが、スーラの母親でさえ
そのことをしばらく知らなかったというほど、でした。
絵についても同様で、独自の表現技法を他人に話そうとは
しませんでした。
31歳という若さで亡くなったこともあり、作品以外に
残されている記録は多くありません。
しかし、スーラをリスペクトし、継承したポール・シニャック
が、詳細の記録や解説を残したことで、スーラが考えた
論理や技法が明らかになりました。
シニャックは、スーラとは対照的に、陽気で話好き、かつ
論理派であったようです。
シニャックは、スーラ亡き後に、
「ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで」
ポール・シニャック(著)1899年
を刊行し、点描画を理論的に整理し、体系づけています。
ここで「分割とは、調和についての複雑な体系であり、
1つの技法というより、1つの美学である」としています。
点描法については、その後、マチスやゴッホも行っていますが、
理念は合致していません。
点描画は、スーラに始まり、シニャックに終わる、とも
言えるかもしれません。
スーラは、感性だけにゆだねず、論理と科学を美術と融合させて、
独自の表現方法・理論を確立したところが、美術史上においても、
非常に存在感をもつ理由となっています。
まとめ
スーラの形跡をみていくと、あの気の遠くなるような
無数の点描画を、何十もの習作を繰り返して、綿密に綿密に
設計して完成させていったのは、スーラという人物像あっての
ことだということがわかります。
シニャックに愛されて、今世にも、自身の考えが伝わって
よかったね、と言いたくなりますね。