ドローネーと色彩
画家と色彩のシリーズ、前回はドラクロワを
とりあげました。
今回は、まさに色彩を中心にあくなき探究を
続けた画家、ドローネーにスポットをあてます。
ドローネーの人生ストーリー
ロベール・ドローネー(Robert Delaunay)は、
1885年、パリに生まれたフランスの画家です。
902年17歳のときに舞台デザイナー、装飾芸術の見習いをし、
1903年頃から画家になることを決意します。
正規の絵画教育は受けていなかったが、
ゴーギャン、スーラ、セザンヌなどを研究し、
制作を始めます。
1904年のアンデパンダン展では6作品を出展、
1905年にはフォーヴィズムの強烈な色彩表現に出会います。
フランスの化学者で色彩理論家のミシェル=ウジェーヌ・シュヴルール
の色彩の「同時対比」に関する理論を読んで影響を受けます。
1906年にはブルターニュを旅する中で、
ポン=タ・ヴァン派の色彩と、スーラらの新印象派の技法を
混合した鮮やかなモザイク手法を生み出しました。
1909年頃からキュビスムの運動に加わります。
このころの代表作は、
《エッフェル塔》1910年
《サン・セヴラン寺院》 1909-10年
サン・セヴラン教会をモチーフにした作品シリーズは、
この作品を含め7作品あります。
1910年にウクライナ出身の画家のソニア・テルクと結婚。
ワシリー・カンディンスキーの招きで、
ドローネーはミュンヘンを中心に活動する前衛運動青騎士
に参加します。
カンディンスキーはそのお礼として、ドローネーに
著書『芸術における精神的なものについて』を贈りました。
1911年頃からドローネーの作風はいっそう抽象傾向が進みます。
ドイツ、スイス、ロシアなどで評価されるようになり、
特に青騎士からは熱狂的に受け入れられていきました。
1912年の「青騎士年鑑」では“ロベール・ドローネーの構成法”
と紹介されています。
ピカソやブラックらキュビズムの画家たちがモノクローム中心に
描いていたのに対し、ドローネーは色彩に重要な役割を担わせました。
キュビスム側からドローネーは印象派や装飾絵画に回帰しているとされ、
キュビスムの異端者と扱われました。
またエッフェル塔や飛行機といった近代的なモチーフを積極的に
描いたのも特徴でした。
1912年、パリで最初の大規模な個展が開催され、
初期の作品から《エッフェル塔》シリーズ含めて46点の
作品が一挙に展示され、とくに詩人・小説家・美術評論家でもある
ギヨーム・アポリネールは大絶賛をし、
「世界の偉大なビジョンを持つアーティスト」と紹介しました。
ドローネーにとって大きなターニングポイントとなりました。
この頃には早くもキュビスムを脱します。
1912年から1914年まで、ドローネーはダイナミックで
鮮やかな色の光学的特性に基いて、抽象度の高い絵を描きました。
この頃の代表作、
《窓》の連作 (1912-13年)
窓ガラスに落ちかかる光の効果に着想を得て描いています。
解体されたエッフェル塔がガラス越しにみえます。
ドローネーは「色彩における最初の抽象絵画」と
呼んでいます。色彩に特化された新しい「純粋絵画」
といえます。
《プレリオに捧ぐ》1914年
前衛芸術の擁護者であったギヨーム・アポリネールは、
ドローネーの絵画様式を「オルフィスム」と呼び、
ピカソらの「キュビスム」と区別した新しい扱いに
位置付けました。
「オルフィスム」はギリシャ神話の音楽家オルフェウス
に因んでアポリネールが造語したもので、ドローネーらの作品を、
他のいかなるものからも影響を受けていない独自の芸術、
音楽と同様の純粋芸術と位置づけたのでした。
こうして、ギヨーム・アポリネールの強力な後押しもあり、
ドローネーはオルフィズム運動の作家として知られるように
なっていきました。
1914年に第一次世界大戦が勃発したために、
スペイン・ポルトガルへ非難し、1921年にパリに戻ります。
1920年代にはアンドレ・ブルトン、トリスタン・ツァラなど
シュルレアリスムやダダイスムとも交流をもちます。
1937年、パリ万国博覧会の航空館と鉄道館のフレスコ画
《リズムNo1-No3》
さまざまな色彩の同心円を組み合わせた「リズム」の連作
第二次世界大戦が勃発すると、ナチス・ドイツの侵攻から
身を守るためオーヴェルニュに移動。
しかし、1941年モンペリエにて癌のため他界した。
享年56歳でした。
ドローネーの色彩と音楽
ドローネーは独自の理論を構築し、パウル・クレーや
フランツ・マルク、オーガスト・マルケなど多くの画家に
影響を与えています。
ドローネーは色彩の「同時対比」を採用し、色彩そのものを
絵画の主役としました。純粋に色彩のみによる造形を試み、
モンドリアンやカンディンスキーに先駆けて純粋な色彩抽象表現
を探究しました。
ドローネーは、点描を視覚混合ではなく、色の対照性を採用した点で
スーラを評価していました。
ドローネーの「オルフィスム」は、純粋で音楽的な色彩と評されました。
本人は「私は人が音楽の場合、フーガによって自己表現するように、
色彩を用いて、彩色されたフーガ風の楽句を演奏したいのだ」
といっています。
まとめ
ドローネーといえば、鮮やかな色彩の絵画。
その色彩の背景にある考え方がわかると
絵の見え方も一段深められますね。
いつの時代にも、その時代のトレンドとなる考え方があり、
それに沿えば理解されるが、革新性はそこにはありません。
スザンヌしかり、ドローネ―しかり、後世に名を残している
人は皆、独自のモノの味方、掘り下げ方を獲得している点が
とても興味深いですね。