モンドリアンと色彩
「熱い抽象」といわれるカンディンスキーと色彩について、
に続いて、対称的に「冷たい抽象」といわれるモンドリアン
について今回は取り上げます。
カンディンスキーに「黄・赤・青」という代表作がありますが、
黄・赤・青のコンポジションといえば、モンドリアンを
思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
モンドリアンは私が大好きな画家の1人です。
それではまず、彼の大まかな人生ストーリーからスタート!
モンドリアンの人生ストーリー
モンドリアンは、1872年オランダで生まれます。
厳格なプロテスタントの家庭でした。
1892年、アムステルダム美術大学に入学します。
美術教師と画家の活動をします。
はじめは、風景画などを描いていたが、
1905年あたりから、抽象表現が現れ始めます。
1909年神智学のオランダ支部に入会し、
その探究活動はモンドリアンの芸術活動に
影響を与え続けます。
1911年、モンドリアンはパリへ移ります。
パリでは、ピカソやブラックなどの
キュビズムの影響を大きく受けます。
1914年、第一次世界大戦がはじまります。
モンドリアンはオランダで前衛運動先駆者である
バート・ヴァン・デ・レックらと出会い、大きく
抽象芸術で共鳴しあいます。
1917年、「デ・ステイル( De Stijl)」
をテオ・ファン・ドゥースブルフと創設。
自身の理念を「新造形主義」として発表しました。
垂直線と水平線、3原色(赤・青・黄)と無彩色
(白・灰・黒)をグリッドとして組み合あわせて、
幾何学的に純粋抽象造形に至ることを主張しました。
厳格さが、対立を生んで、モンドリアンは脱退。
以降、新造形主義はモンドリアンだけが実践して
いきます。
第二次世界大戦後、パリでは芸術革命がさかんになり、
モンドリアンも抽象表現を探究していきます。
1940年にモンドリアンはアメリカのマンハッタンへ移り、
1944年肺炎で死去するまで、
残りの生涯をニューヨークで送ります。
「冷たい抽象」
モンドリアンの提唱する「新造形主義」では、
自然に依存しない普遍的な調和と均衡の美を
浸透させるべきだと主張しました。
高度に純化された厳密な構成から
「冷たい抽象」と呼ばれます。
『大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション』1921年
に代表されるような、一連のコンポジションスタイルを確立
していきます。
モンドリアンの作品・思想は、絵画の範疇を超えて、
工業デザインや建築の分野にも影響を及ぼします。
神智学の影響
神智学は、均衡がもたらす美のみが
純粋な造形を実現するとし、オランダの
水平線、木や建造物の垂直線で構成される
風景が、世界の法則性の実感となり、
モンドリアンに作品に影響を与えたという説
もあります。
「進化」 1910-11年
では、人間が精神的な世界へ上昇していく
プロセスを表現していると言われています。
花の色が、
俗世間的な「赤」→「黄」→光り輝く「白」と
進化していきます。
後の幾何学抽象絵画で用いられる
「赤」「黄」「青」が象徴的に使われれています。
「赤」=生命の輝き
「黄」=霊の輝き
「青」=魂の輝き(内なる意志)
と言われています。
「赤」「青」「黄」3原色と無彩色の美学
モンドリアンは、自然の色は再現しえないとし、
色彩は、個人的な感性とは無関係であるべきで、
普遍的なものの静かな情感だけが表現される、
と考え、純粋なリアリティを表現するためには、
自然色を原色にまで純化させることが必要、
という考えのもと、原色を用いるスタイルを
確立します。
晩年、ニューヨークでのモンドリアンの作風は
大きく変化します。
いったん極限までシンプル化した表現は、
感情が伝わってくるような動きを感じる
表現になっていきます。
《ニューヨーク・シティ》1942年
以前よりも線の数が多くなり、
赤、青、黃の線が複雑に垂直交差しています。
ニューヨークの通りの様子が
伝わってきますね。
《ブロードウェイ・ブギ・ウギ》1942から1943年
これまでの作品にくらべて、かなり躍動的。
マンハッタンの碁盤の目上の通りや、
モンドリアンが好きだったジャズの「ブギ・ウギ」
ネオンライトがキラキラと輝く様子が
正方形の中で美しく構成されています。
抽象幾何学絵画の学校でも大きな影響を持つ作品
となりました。
その他の領域への影響
ヘリット・トーマス・リートフェルト(Gerrit Thomas Rietveld
による2つの名作
赤と青の椅子 1917年
「デ・ステイル」の思想を体現している作品
モンドリアンの抽象画を建築化したか
ような外観の邸宅。
黒・赤・黄・青の線、白・灰の面によって
構成されています。
「赤と青の椅子」の造形原理を発展させたもので、
見学にいったときには、邸宅の中にも
この椅子は置いてありました。
まとめ
モンドリアンの「デ・ステイル」様式は、このほかにも、
イヴサンローランのドレスに「モンドリアン・ルック」
としてもデザインされ、その影響は絵画の領域にとどまらず
非常に大きく、今日でも様々なデザインのモデルとして
脈々と生きています。
次回はクレーと色彩についてみていきたいと思いますので、
よろしかったらそちらもどうぞ。