パウル・クレーと色彩
画家と色彩のシリーズ、
カンディンスキー、モンドリアンと
紹介をしてきましたが、
今回はパウル・クレーにスポットをあてます。
チュニジア旅行時の日記に自ら、
「色彩が私を捕えた・・・
色彩と私は1つになった。
私は色彩の画家だ」
と書いています。
彼の人生と色彩感についてみていきましょう。
パウル・クレーと人生ストーリー
パウル・クレーは、1879年、スイスの首都
ベルン近郊にあるミュンヘンブーフゼー
という小さな町でに生まれました。
音楽一家で、父親は音楽教師、母親は
声楽を学んでいました。
クレーも幼い頃からヴァイオリンに触れ、
11歳のときにはベルン音楽連盟の特例会員として
招待されるほどの腕をもっていました。
妻もピアニストでした。
クレーは古典から現代音楽まで幅広く理解し、
創作の源泉となっています。
作品の題名にもフーガなどといった音楽用語が
用いられているケースもみられます。
クレーは音楽とともに、絵画、文学にも興味を持ちました。
最終的には視覚芸術の世界に進んでいきますが、
並行してヴァイオリンを演奏したり、詩を書いたり、
日記を記したりしています。
日記は、彼の芸術に対する考えを鍛える場となって
いきました。
1898年ミュンヘンの美術アカデミーに入学して、
カンディンスキーの師匠でもあった象徴主義の大家
フランツ・フォン・シュトゥックの指導を受けます。
しかし、画一的な教育が合わず、退学してしまいます。
その後、イタリアでルネサンスやバロックの絵画や建築を
見て回り、多くを吸収しました。
クレーは初期には銅版画、ガラス絵、油絵などを
試みています。
1906年以降、ミュンヘン分離派展に銅版画を出品したり、
1910年にはベルンなどで個展を開いたり、
「青騎士」の活動に参加したりしています。
1912年パリでロベール・ドローネと出会って、
光や色彩、線描への探求が進んでいきました。
1914年からのチュニジア旅行が大きな転機となります。
自然の光に感動し、日記に、「色彩が私を所有している。」
“colour and I are one”
and that now, he was “a painter”.
「色彩と私はひとつだ。私は画家だ。」
と記しています。
これ以降、色彩豊かな作品が開花していきます。
さらに、抽象表現も進化し、飛躍的に作品の
幅が拡大していきます。
この後、色彩の画家と言われるはじめとなる、
《In the Style of Kairouan》(1914年)
を制作しています。
第一次世界大戦で、クレーも前線に臨み、
多くの知人を失います。
《Death for the Idea》(1915年)
は悲しみを昇華させる意味で
描いたともいわれています。
1917年くらいから作品が評価され、
よく売れるようになっていきます。
は、この時代の代表作品でもあります。
1919年、ミュンヘンの画商ゴルツと
3年間の契約をし、大回顧展を行うなど
大成功を収めます。
1921年から1931年までバウハウスで教鞭を
とりました。
クレーは講義の準備の傍ら、色彩や造形についての
研究を進め、絵画理論としてまとめています。
この頃、クレーの創作のピーク時期でもあり代表作の
「パルナッソス山へ」(1932)もこの時期に生まれています。
1933年ナチス政権の前衛芸術弾圧は、身の危険もあるため、
スイス・ベルンに亡命します。
亡命後は、難病も発症してしまいますが、
1939年は旺盛な創作意欲を見せ、1年間に1253点もの
作品を生み出しています。
手が思うように動かなくなり、作品は非常に単純化された線で
表現されることが多くなりました。
「クレーの天使」 パウルクレー(絵)谷川俊太郎(著)
に掲載されている「わすれっぽい天使」などの
多くの天使はこの頃創作されたものです。
1940年、サンタニェーゼ療養所で亡くなります。
享年60歳でした。
クレーの色彩と音楽
音楽家の家庭に育ったクレーにとって、
音楽に囲まれた環境はごく自然のこと
でした。
クレーは音楽をモチーフにした作品をいくつも
残しています。
クレーは音楽も絵画も本質的には時間の要素
となるリズムがあると考え、効果的に表現しました。
《赤のフーガ》 1921年
フーガとは、同じ旋律が複数の声部に順次現れる
遁走曲ともいわれる楽曲形式のことです。
旋律がずらしながら現れる様子を色の濃淡と造形で表現されています。
色彩の変化、造形の重なり合いから、
時間経過、リズムが伝わってきます。
また
《ポリフォニー絵画》
として、色彩が重層的に共鳴しあう表現を
しています。
クレーの色彩の発見
クレーは、チュニジア旅行で色彩に目覚めてからは、
明らかに色の使い方に変化がみえます。
赤・黄・青といった原色と補色を使いながら、
採用する色彩の振れ幅がダイナミックになりました。
「クレーART BOXー線と色彩」日本パウル・クレー協会(編)
クレーの作品の変化が時系列でわかります。
まとめ
初期は銅版画などからはじまり、
明らかに目覚めるキッカケがあり、
作品が変化していく様子はとても
興味深いですね。